旅のしおり/ travel bookmarks
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ニセコエリア / DATE 2019.08.30
神々が眠る山 羊蹄山
日本百名山のひとつとして数えられる、羊蹄山。標高は1.898m。洞爺国立公園に属するシンボリックな円錐型の成層火山です。活火山に指定されていますが、火山活 動が確認されているのは 約6千年前。1912年、 日本にスキーを伝えたレルヒ中佐が登頂して以来、冬はバックカントリースキー、夏は登山客が全世界から訪れています。最も美しいとされる初夏の山容は全国各地の富士の別名を持つ山々の中で最も富士山に近く、そびえる絶景はまさにカムイの作り上げた芸術品。また豊かな自然が古より誰にも荒らされず守られており、神々が愛する聖域が如く感じさせます。
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函館・大沼エリア / DATE 2019.08.21
いち早く春が訪れる駒ヶ岳界隈
優美なシルエットの秀峰・駒ヶ岳を望み、浮島のシルエットが風光明媚な大沼国定公園。大沼・小沼・ジュンサイ沼という3つの湖沼と駒ヶ岳と周辺の豊かな森が織りなす風景は、表情を変えて目を楽しませてくれます。春は大沼が目覚める季節です。駒ヶ岳はゆるやかに白い雪化粧から新緑へと衣替え。湖畔には白い水芭蕉、木立には大きなこぶしの花が咲き誇り、ウグイスが春の訪れを歌います。いち早く春の訪れを感じられる大沼へ足を運んでみてはいかがでしょうか。
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サロマ・オホーツクエリア / DATE 2019.07.30
夏のオホーツク、歴史ロマンの旅
うだる暑さの中、ひとときの涼をもとめて水べりでゆったりした時間を楽しむ「川床」は夏の風物詩。同じように夏には「夜の秋」という季題があります。堪え難く暑い日中とは打って変わり、早くも秋の気配を感じるほど涼しいと思わせる夜は、道東の夏ならではのこと。そんなどこかノスタルジーを感じさせる道東には、歴史を紐解くような大人の旅が似合います。今回は道東に遺された遺跡からアイヌ文化よりも古いオホーツク文化を巡る旅。古に想いを馳せる、味わい深い夏はいかがでしょうか。1300年前の遥か昔、サハリンから道東の沿岸部にかけて、住み着いた民族がいました。海で狩りをする交易民族「オホーツク人」です。その存在が明らかになったのは1913年、理髪職人の米村喜男衛(きおえ)氏によるものでした。考古学を独自に学んでいた米村氏は考古学の権威であった鳥居龍蔵氏に出会い、アイヌ文化の存在を知ることとなります。アイヌ文化に非常に興味を抱くようになっていった米村氏は「実際に北海道を見てきてはどうか」という鳥居氏のひと言で、仕事道具であるバリカンと鳥居氏の著書1冊だけを手に北海道へ。米村氏の旅は当時の列車で行ける北海道の最終地点、網走へとたどり着きます。その網走川沿いには貝殻層があり調査を始めて見つかったのは、鳥居氏の研究室でも見覚えのある粘土紐を貼り付けた土器。鳥居氏に師事していた米村氏だからこそ、発見した土器がそれまでに見つかっていない全く新しい文化の足跡だと気が付いたのです。米村氏は最寄村で発見したことから「モヨロ文化」と命名。その後オホーツク海岸沿いに同様の痕跡が見つかることから「オホーツク文化」と名を変え、米村氏の孫・米村衛さんによって今も研究が続けられています。
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サロマ・オホーツクエリア / DATE 2019.07.25
捕鯨船のポーが鳴る町
現在、唯一捕鯨が行われている道東。中でも網走は100年に渡る歴史を重ねています。昭和24年頃には少なくとも23隻の捕鯨船が活躍し、最大192頭を捕獲していた網走の海。捕鯨の帰船を知らせる「ポー」の音は、子どもから大人までが解体場に走り寄り、賑わいを告げる鐘の役目を果たしていました。今回のまろうど便りでは、かつて捕鯨が基幹産業として、街を盛り立てていた頃の網走をご紹介いたします。しっかりと歴史に記されている捕鯨の歴史は100年ほどですが、その起源は約1300年前に遡ります。捕鯨を行っていたのは古墳文化の後期から奈良・平安時代の前期に渡って、カラフトや奥尻まで広がり栄えていた交易民族・オホーツク人。当時の遺跡や住居跡からはクジラの骨が発見されており、クジラの絵が描かれた骨製の針入れやマッコウクジラの牙で作られた像なども見つかっています。更に、それらは浜に打ち上げられたクジラではなく、海上で立ち向かって捕鯨したもの。その証拠に根室の弁天島で出土した針入れの表面には「7人ほどが乗り込んだ船の先端に立ち上がったひとりが、クジラに銛を打ち込もうとしている様子」が鮮やかに描かれているのです。またこの頃、オホーツク人の漁は石器と金属器の併用時代を迎えており、突き刺さった銛が抜けにくい二重かさになった道具も発掘されていま す。このことから、当時のオホーツク人、つまり網走での捕鯨は1300年前から今につながる伝統産業とも言えるでしょう。
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