昭和という時代の艱難をくぐり抜け、平成の時代に入ってからは、力強く成長してきた鶴雅グループ。
本記念誌は、その礎を築きし創業者故大西正昭、そして先代を支え続けた茂子現会長の回想を中心に50年の足跡を検証してきました。ここには時代の中で見せる人々の人生劇を見ることができます。上映時間は438,000時間の50年という長編劇でもありました。支えてくれたあの人がいる、お叱りを受けたあの人もいた。そんな人々の喜怒哀楽が記念誌の紙面を飾っています。そんな多くの皆様のあたたかき思いと的確なご示唆を胸に大西社長は語ります。
今日の企業を取り巻く環境は、消費者ニーズの多様化、少子高齢化、企業間競争の激化、新ビジネスの台頭などなど、かってないスピードで変貌を遂げています。これらの時代の変化の中で先人の築きし足跡をどう継承し、時代にどう対応していくのか?あすの北海道観光は?阿寒湖畔の活性化の施策は?そして鶴雅グループの将来をどのような企業アイディンティテーによって構築するのか?など大西社長に伺いました。尚、社長のお話と共に社長自身が行った各種講演記録なども含めてまとめております。
Q まずは、50年は長い歳月ですが、その半世紀を迎えられた事を感ずるままにお聞かせください。
艱難辛苦をのりこえたあの時あの人がいた。
ウ〜ン何からお話ししましょうか、私の自宅の神棚には5枚の写真が並んでいます。手前に創業者大西正昭、その隣には祖父大西正一、祖母大西キク、その奥には祖々母の大西加都(かず)そして大西みさをの今まだ新しい写真も並んでいます。大西家の毎月は、神殿の前に家族が揃う神事からはじまります。そして会社に移り社員たちと神棚に向かいます。社業の無事、家内安全を皆とともに願います。
親父の代からの伝統であります。神棚の横に目を転じると先代の厳しいまなざしが、じっとこちらを見据えています。笑って見えることもたまにはありますが、大体はもっとしっかりすれと睨んでみえる。いつまでも父親は怖いものです。目を閉じると様々な出来事がつい昨日ように甦ってきます。
祖父の描いた温泉地での旅館業への夢、その夢の実現をこの阿寒の地でめざした父母。
思い起こせば先代が亡くなる最後の言葉は、傍らの我々の励ましに「もういいじゃ…」の一言。自分の代ではここまでやり遂げた。あとはお前達頼んだぞ!とも言える父の言葉は脳裏を離れません。生涯を貫いてきた頑固なまでの気概には遠く及ばずとも、先代の掲げた志をしっかり継承し、創業の原点を忘れる事なく自分の代の使命を果たしていきたいと念じています。あの時あの人がいた、あの時にはあの人がいた…。今日までの道行きの中で出会ったお一人お一人のお陰で今日の日を迎えられました。多くの師に感謝をし、そして今なお強く導いてくれる父に手を合わさずにはおれません。
Q それでは、「未来に向かって」というの副題ですので、最初に「観光地はどうあるべきか」をお聞かせください。
お客様と共に。
今観光は町づくりの時代と言われています。結論が先になりますが、町づくりの醍醐味は人の面白さの発掘に尽きると思います。そこに住む人々がどう活性化してくれるか?その活性化とは人の意識改革そのものですから、何人の人がどれだけ意識を変えることができるかが問われます。勿論、そこには地域のリーダーたる強いモチベーションをもった人材が必要になってきます。どうやって地域の個性を磨いていくか。そして、そこにしかない磨かれた個性をどうのように発信するかだと思います。
時代は、ものすごいスピードで変化しています。我々の変革のスピードがお客様の変化に追いついていけるか。まさに生き残りは、この一点に掛かっています。そこには、経営者も含めて地域住民が、どれだけ楽しんで観光地を運営しているか?が問われています。お客様に楽しんでいただくには、携わる人間自身がどれだけ楽しんでいるかが大切なのです。そんな仲間達が楽しみながら広域に連携していく、「従来の観光業の枠組みを超えた様々な人の連携」が21世紀の魅力ある観光をつくりだと私は確信しています。
Q 広域連携のお話がでましたが少し「具体的な北海道観光」についてお話いただけますか?
北海道の広域プロモーション
北海道観光プロモーション協議会(現道観連プロモーション委員会)という組織があります。これは、道と民間が力を合わせて北海道観光のプロモーションを行う組織ですが、その東北海道の実行部隊として東北海道観光事業推進協議会(東観協)という受け皿が出来ました。その事業の一つとして、東北海道エリアでは全部で21路線ものホワイト・エクスプレスバスを運行しています。当初この路線は、それぞれの観光地が、仲良しグループや旅館組合・行政支援など、様々な形態で運営されていました。そういったバラバラの路線を揃え、民間主導で連携していった取り組みは全国でも珍しいと各所から研修にもお見えになります。不採算路線の切り捨て問題や地域間格差問題を真剣に議論・譲歩しあいながら10年間ほど実績を積むことが出来ました。
現在では2ヶ月間で12,000人から14,000人に利用され、7つの観光地と5つの空港を結ぶ道東観光に不可欠の広域バスネットワークとなっております。
次に、冬のイベントについてお話しします。当初、冬の三大まつりとして、層雲峡の「氷爆まつり」、知床の「オーロラファンタジー」、阿寒の「氷上フェスティバル」の三つのイベントからスタートしました。その後、川湯・十勝川・網走・然別湖と拡大し、現在は七大祭りとしてオフィシャルイベントになりました。オフィシャルイベントには一定のルールがあります。例えば、夜間のイベントがあること、1,000万円以上の事業規模もしくは1万人以上の動員数、1ヶ月間以上のロングランなどの決めごとがあります。それらのルールをクリアしますと公認のオフィシャルイベントとして、みんなで宣伝していく体制を取っていけます。現在では、流氷観光との相乗効果もあり、トップシーズンに近い賑わいを呼べるまでに成長して参りました。これは広域プロモーションによる地域間連携の目に見える大きな成果でもあります。
先ほどのバス路線の話にしても、冬祭りの連携にしても、民間はもちろんのこと、市町村や道庁が連携し、三位一体で進めていかなければ、大きな広がりになっていきません。
グローバル化が進む中、お客様はヨーロッパやカナダへの旅行と北海道旅行を同一視野に置かれています。我々も、視野を更に広げながら、小さな利害を乗り越えて、北海道観光の魅力を高めなければなりません。そういった意味では、東観協の活動は全道的にも、ひとつのモデルになるであろうと考えております。各々の観光地が切磋琢磨しながら魅力を高め、それらが連携してこそエリアがブランドになります。言い換えると、観光地がエリアの構成部品なのです。
知床温泉や川湯温泉の魅力が高まれば、東北海道全体のブランド力が高まるのです。東北海道にお客様が来てくだされば、いずれは我々の地域も潤ってくるという積極的な考え方が必要ですね。
Q 東北海道のお話が出ましたので、次は阿寒湖温泉の活性化のお話をお聞きしたいのですが?
まちが変われるラストチャンス
阿寒湖温泉は一級の観光資源に恵まれている本当にすばらしい地域です。ところが、91年を境に大きな変化が起こりました。地域の宿泊人員は横ばいなのに、マリモの展示観察センターの入場者数つまり観光船の乗船人員が、ピーク時には74万人あったのが、最近では20万人を少し超える程度で、全盛期の1/3以下になってしまっています。また、スキー場の利用客や商店街の売り上げも同様に1/2〜1/3くらいになりました。いろいろな理由が考えられますが、今まで北海道観光を牽引してくれた団体客が激減し、リピート比率の高い、個人・グループ客へと大きくシフトしたことに追従できなかったことが最大の要因と考えています。個々の施設においても、地域のまち作りにおいても同様の状況にあります。商店街の問題をもう少し掘り下げてみると、本来の観光みやげの原点である地場の特産品づくりから、だんだん全道一律の商品仕入に変わってきました。したがって、どこの店にも同じ品が並ぶという結果を招きました。これは大量販売の安易な商売に繋がり、個性を失うことになりました。自分自身の欲しい物を買うという明快な行動と鋭い感性を持つ個人客には、どこにでもある品揃えでは購買欲を満足させることができなくなりました。
こういった流れの中で、私たちは4年前にまち作り戦略会議をスタートさせました。そのきっかけとなったのが、元JTB財団の原先生のお話しです。「一体あなた方は何人のお客さんに来てもらったら満足するのですか。120万ですか、150万人ですか。数だけを追い求めていくと多くのものを失ってしまう。これがあなた方のまちが変わるラストチャンスです」という話をされました。
実際のところ、売上の減少は、単なる景気の悪さだけでは説明がつかないことを、多くの住民が分かってきていましたから、その言葉にはすごく説得力がありました。
阿寒町では、今までに二度ほど大きなグランドデザインを描いています。それらの計画は素晴らしいものでしたが、ほとんどがハード中心で何百億円かかるのだろうか、何世代かかるのだろうといった計画でした。理想が先行し、町が計画についていけなかったのです。今回のラストチャンスに賭けて、自分たちが出来ることをすぐに始める。ハードではなくソフトを中心に、住民の手で進めていく。2年をかけ、私たちの三つ目のグランドデザイン「阿寒湖温泉再生プラン2010」が出来上がりました。
「阿寒湖温泉再生プラン2010」
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- ○環境省との湖岸公園プロジェクト
- ○新税構想も含めたまちづくり財源確保
- ○運輸局との社会実験である地域通貨「まりも家族手形」
- ○開発局との社会実験である交通システム調査
- ○アイヌ文化の「ユーカラ劇」の復活
- ○18軒の温泉宿をめぐる「ぐるっと湯めぐり」
- ○女性で組織されるまりも倶楽部の「地域マップ」&「地元の産品を使ったレシピ集」&
「阿寒湖温泉のまちづくりマスコット」 - ○温泉情緒を出すための「手湯・足湯」
- ○出来ることからのシンボル事業「花いっぱいプロジェクト」
*NPO法人化を進めながら、各プロジェクトが一歩ずつ歩み出しています。
Q 最後になりますが、鶴雅グループの目指すもの企業戦略をお聞かせいただけますか?
鶴雅が目指す3つの経営戦略
観光地域づくりや旅館経営というものは、つまるところ「個性的な魅力づくりと人づくり」に尽きるのではないかと私は思っています。そうした考えから、私どもでは三つの経営戦略を立て実行してきました。
経営戦略1 競争しない個性を持つこと
- (1)個人化に向けた設備投資の加速
- (2)新コンセプト旅館「鄙の座」による品質の追及
1つ目は競争しない、競争すればするほど自分の持ち味は失われていきます。では、どうしたら競争しないですむのか、それは「個性をもつこと」と私は考えています。今までマーケットは低価格のディスカウント時代でした。そこで、多くが参入するマーケットから離れることが大切です。離れるとは?他にはない自身の個性の追求でもあります。何故なら、その巨大なマーケットに踏み込むならば、生き残ったとしても、満身創痍になります。皆さんは驚かれるかもしれませんが、私はホテル旅館経営そのものを商売や事業とは考えないようにしています。
「事業という捉え方ではなく、自分たちの人生の作品なのです。今は、個性ある作品を世代を超えて育てて行く為のキャンパスづくりをしています。鶴雅と云うこの世にひとつしかない作品づくりの延長が、昨年誕生した「鶴雅別荘 鄙の座」です。競合しない個性の追求と品質管理の実践施設です。是非一度、私達の創造した作品をご鑑賞ください。
経営戦略2 システムとしての顧客満足づくり
- (1)IT活用による「私だけのサービス」の推進
- (2)インターネットによる顧客情報の収集と差別化
2つ目は、「顧客が満足するシステムづくり」です。多くの観光ホテルの今までの経営スタイルは、どこを切っても社長や女将の顔が出てくる「金太郎飴方式」でした。私は大規模旅館でこのスタイルは限界があると考え、いろいろな顔がある旅館作りを目指すことにしました。″WOW!″がいくつあるか、小さな驚きがいくつあるか、というのがホテルの楽しみ方のひとつです。それにストーリーをつけていく試みをしています。これらは、物の消費から時の消費へと変化した顧客ニーズ(旅の概念変化)への対処策でもあります。
お客さまのウ〜ンと唸る感嘆の声、小さな驚きの声、お一人お一人の至福の時を演ずる舞台をご用意することが顧客満足の追求のひとつだと私は考えています。一言でいうならば、お客様自らがつくるであろう「物語づくり」のお手伝いといってもいいでしょう。
また、これらの顧客満足追求のためには、従業員のすべてが情報を共有化すること、効率化すること、迅速化することなどが求められました。熟練スタッフと新米スタッフの格差を縮める為に、IT活用やISOによるシステム化を目指しています。IT化の具体例は下記にまとめてみました。
おもてなしを支えるIT情報システム
- 1.品質管理システムの構築
- アンケート自動分析システムを自社開発、マークシートによる点数化を行い毎朝の全体朝礼(これは徹底したアナログ方式となります)にてそれらの改善チェックを行っている。
- 2.業務コントロールシステムの構築
- 館内に50台のテレビカメラを設置しコントロール室にて各部署の情報を一括管理、これにより、有効且つ臨機応変な人員配置や作業ルーティーンの簡素化が可能になりました。連絡はPHSを採用しました。
- 3.顧客管理システムの構築
- お客様からの電話はかかってきた瞬間から過去の宿泊情報を自動検索出来るシステムを独自開発いたしました。よってお客様へのきめ細かい満足を提供できるようになりました。
- 4.インターネットによるお客様の情報収集
- 1日1600件(人)を越えるアクセス、このホームページ上の見込み客並びに予約客の事前情報収集とその分析、対応などが必至となっています。
中でも顧客満足度を高めるものとして、お客様のアンケートの数値化を毎日実施しています。これは泊まり客の生の声をサービス向上に活かすため、毎朝の全体朝礼でアンケートの分析とお客様の要望や意見の発表をおこなっています。そこで出された問題は即刻即座に対処し且つ、改善することも本朝礼のメリットです。同時にそれらの情報をみんなで共有できるのも大きな成果に繋がっています。
また、平成14年から「サロマ湖鶴雅リゾート」の経営もはじめましたが、遠隔地経営をどうやるかということで頭を悩ませました。結果、サロマとの間にテレビ会議システムを導入いたしました。このシステムにより毎日朝礼はテレビカメラとスクリーン前で行っています。サロマには鶴雅の役員の顔が写っており、我々の方には、サロマのスタッフ達の顔が見えております。そして、中央のマイクで自由に語ることができるシステムです。これによって遠隔地サロマとの情報交換や意思の疎通が大変スムーズになりました。これはIT化の凄さを改めて教えられるシステムでもありました。
一方、館内の従業員の仕事現場は、熟練社員から若手社員に移りつつある時代となりました。そんな時代の変わり目の中、いかにトップのエネルギーを末端まで伝えられるか?が今後の課題でもあり、若手の経験不足をシステムで補っていくことが求められています。このようにITの導入は、顧客満足度アップのツールであり社員間のコミュニケーションツールとしても更なる促進がなされねばならないでしょう。これからも独自ソフト開発を積極的に進めていきます。
経営戦略3 100年ブランドの創造
- (1)環境対策の強化(ISO14001)とメッセージの発信
- (2)地域活性化(阿寒湖温泉再生プラン2010)への貢献
戦略の三つ目は、100年ブランドを進めることです。100年とは正に「世代を超えての生き残り」といってもいいでしょう。企業のブランド化、阿寒湖温泉としての地域ブランド化、そして東北海道エリアとしてのブランド化も合わせて高めていくことが今一番重要な課題だと私は考えています。地域の仲間と知恵を出し、共に汗をかきながら地域活性化や再生プランを推進してまいります。一方、地域のブランドづくりのためには、新たな観光資源の原石を発見し、磨きをかけ、発信し続けることが不可欠です。原石には人材と云うソフト原石もあり、サービスという言葉でくくる心の原石もあります。
もうひとつの100年ブランドの創造は、正に永い時間をかけたテーマでもありますが、それは地域の環境保護にメッセージを発信することです。阿寒湖温泉の大きな財産であるアイヌ文化の中にこの解答がちりばめられていると思います。具体的には、当社では既にISO9001認証取得につづき、環境マネージメントシステムと云われているISO14001の認証取得をすすめています。100年ブランドの創造と実践に全役職員がチャレンジしています。以上当社の3つの経営戦略を述べさせていただきました。
最後に、私どもは北海道観光の再生に向けての新しいモデルの提案や差別化の事例を自らの実践によって皆様に示せたならば…と願うものです。 鶴雅はお蔭様で50年、地域とともに歩んでくることができました。次なる50年はまた一段高いハードルを越えることでもあります。『もう一度ゼロから再構築する機会を与えていただいた』と心に刻み、創業の原点にたち返り、50年の歳月を検証し、マーケットがつくってくれた当社のイメージを謙虚な心でしっかりと分析することから出発いたします。鶴雅のRE・STARTに、今後とも末永くご指導ご鞭撻いただけますよう心よりお願い申し上げます。