発刊にあたり謝す。創業の年、私は生まれた
本年当社は創業50年という記念すべき年を迎えました。と同時に私も50歳となります。
創業者である父大西正昭と母大西茂子が阿寒湖畔で旅館の経営という志をもって、しばれる厳寒の湖畔に立ったのが昭和30年のことです。
当時は重機などもない時代のことです、地域の住民の皆さんをはじめ多くの方々の人海と言う名の汗と泥まみれの工事が続いたとお聞きしました。そんな皆様のお力添えにより翌昭和31年5月、客室22室の木造旅館(株)阿寒グランドホテルが開業いたします。
これは祖父大西正一が温泉地で旅館をやりたいとのたっての希望もあって、父母共に一大決心の上この鄙びた阿寒湖畔を選びました。開業時は道路や交通事情の悪さで冬場は閑散期となり厳しい経営状態が続きました。そんな草創期の言葉には言い尽くせぬ幾多の困難を克服しながら辿った50年でもあります。ここに創業半世紀を迎えるに当たり、今日まで当社に賜った皆々様のご支援と同時に、祖父、父母そして私ども家族へ頂戴したあたたかきご厚情に対し、心からの感謝とお礼を申し上げます。
表題のとおり私は創業の年、昭和30年に生まれ(株)阿寒グランドホテルの社歴と私自身の人生が折しも重なっています。これは、「共に歩む道の記」であると私は理解しています。
振り返れば、札幌、東京での学生時代を終え就職の頃、そして阿寒に帰郷してからの父大西正昭との経営上の激論の数々、そして父の見せた涙、母の笑顔、わが子の誕生、従業員の悔し顔、そして歓喜の声などなど、時々の想い出が浮かんできます。
また、この50年の主な出来事を振り返りますと、昭和38年起こしてはならない食中毒の発生、昭和45年の洗濯室壁からの火災、昭和62年の大手旅行代理店からの送客停止の「最後通告」、平成元年には先代大西正昭を失い、平成7年常務取締役大西みさをを事故で失うなど試練とも言える悲しいできごとも続きました。
父との毎日の激論も、今となれば懐かしい思い出であり、私のホテル経営の糧となり道標となったことも事実です。大浴場の改修、別館の新築など数々の新築、改修工事を重ね、平成7年創業40周年記念式典、メインダイニング「天河」の完成、ホテル名を「鶴雅」への変更をしたのもこの年です。そして同12年「阿寒の森ホテル花ゆう香」のオープン、「ISO9001」の認証取得、同14年「サロマ湖鶴雅リゾート」のオープン、同16年には「あかん鶴雅別荘鄙の座」のオープンと施設の拡大充実と内部体制が整っていきます。また、なんと言っても嬉しかったことは、平成14年6月、従業員みんなの悲願でもありましたホテル旅館業の金字塔「JTBサービス最優秀旅館ホテル」の全国1位になったあの時の社員と共に分かち合った喜びでもあります。
選ばれることそれは、お客様の当ホテルを評価してくれたご褒美です。全従業員一人一人の日頃の努力は、この1点のために積み重ねているといっても過言ではありません。そしてもう一つ、私の経営観の中で、大きな喜びがございました。昨年、日経MJのアンケート調査で「経営の参考にしたい旅館ランキング」で和倉温泉の加賀屋さんに次いで全国2位に選ばれたことであります。これまで、業界活動の中でも、求められれば、弊社の運営システムなどを全てオープンにしてまいりました。自社開発のアンケート評価システムやコミュニケーション・カメラなどは全国の同業の仲間がたくさん使ってくれています。今後も、自ら果敢にチャレンジし、オープンな社風を持ち続けられるよう努力してまいります。創業から半世紀、幾多の荒波を、乗り越えられたのは、幸運にも多くの皆さまの支えがあったればこそ、この時を迎えて本当に感無量です。半世紀とは、「もう一度ゼロからの再構築のチャンスを与えられたこと」と私は理解しています。生業としては、原点を見つめること、そして一段と高い顧客満足というハードルに向かって全身全霊で取り組むこと、社会的には、観光カリスマの任命に恥じないよう、育てていただいた地域の町づくりや業界のレベルアップに使命を持って貢献していく事を皆様にお誓い申し上げます。
最後に、先代故大西正昭、茂子会長、そしてご指導くださった多くの諸先輩、お取引先関係各位の皆様、歴代からの従業員のすべてのすべてにあらためて感謝を申し上げます。
その感謝の意を表すにあたり、50年史(道の記)を発刊し鶴雅グループの歴史の記録をここに一冊にまとめ残すものであります。皆様におかれましては鶴雅の歴史を紐解きながら、懐かしい思い出を振り返っていただければ幸いでございます。
50周年にあたり多くの皆様から寄せられました、多くのご好意に敬意と感謝を申し上げご挨拶といたします。2005年4月6日