あの日、あの頃、出来事基礎はワシがしっかりとつくっておいた。
エカシ(長老)の威厳と風格。84歳となった今、かつての50年前の記憶を朗々と語り始めた。 「今でもよく覚えている。薮がガサガサというので雨でも降ってきたのかと思ったらイタチやオゴジョが山から下がってきた。木の葉の上を走るように。高山にいるミヤマガラスも鳴いているものだから不思議だなあと思っていたら雌阿寒岳が噴火した。」という。
歴史を紐解くと昭和30年11月19日に雌阿寒岳ポンマチネシリ火口が小噴火し、 その降灰は鶴居村茂雪裡までに及んだ。もちろん阿寒湖畔にも火山灰が舞い落ちた。エカシは語り続ける。
「昔からよく言うだろう。雨だろうと雪だろうと降り込むというのは縁起がいい。このホテルの基礎工事の時には、灰が降り込んだ。これは縁起がいい。きっと繁盛すると思ったら、50年を重ねてこんなにも立派になった。」とご満悦である。
心底うれしさが表情ににじみ出る。それもそうだろう。今から50年前、阿寒グランドホテルの基礎工事で人夫頭を務めたのが今吉さんだった。9月末から始まった基礎工事用の砂利採りは厳寒の冬まで続いた。連日ピリカネップの川の中からバラスを採取し、ホテルの工事現場まで運搬するのである。トラックも川の中に入ってバラスを積むのだからブレーキもままならず大変だが、そのバラスを採るのも、積むのも人海戦術、そこには、真っ黒な泥にまみれた男達の顔、顔、顔。その過酷な仕事はこの男達の顔が物語っています。
人夫頭秋辺今吉さんの統率力が大いに発揮された作業場面でもあったようです。その作業が終了したのは零下20度に達する寒さの12月のクリスマスイブ。その夜の打上げは大いに盛り上がった。今でもその時の話が語り継がれている。苦労を語り飲みかわす、酔いが廻ると共に踊り歌う人夫達、過酷だったからこそ喜びが一気に湧き上がったのは言うまでもない。
勿論、その中には当時28歳の大西正昭さんの喜びの顔がありました。エカシ達が阿寒グランドホテルのすぐ目の前にアイヌ部落を作ったのは、昭和28年のことだったでしょうか。部落の家といっても油紙で屋根を葺いたというのだから、決して上等ではない。そんな厳しい時代の中で巡りあい仕事させて頂いたホテルの建設工事でもありました。秋辺さんは語ります。
「オラ達の飯の種。しかも、いまで言う地域の活性化ですからね!自ずから力が入ったのも当然ですよ…そして、またひとり、この土地に暮らすことが認められたことでもあります!“そう!すべては大宇宙の影響を受けての事と言ってもいいかな〜”人間の生活も運命も地域全体の営みもすべてがその影響を受けているのだよな〜!」こう淡々と語るエカシ秋辺今吉さんの表情には“共に生きる”という荘厳な魂のようなものが見えていました。