先代の友人 阿寒町商工会会長 阿寒湖温泉連合町内会会長 株式会社カナヤマ 代表取締役会長 金山 泰明氏
先代の友人
阿寒町商工会会長
阿寒湖温泉連合町内会会長
株式会社カナヤマ
代表取締役会長 金山 泰明氏

あの日、あの頃、出来事先代の陣頭指揮でつくった氷像。

 あかん遊久の里『鶴雅』が創業五十周年を迎えられましたことを、心よりお慶び申し上げますと共にこれまでのご努力と、阿寒観光発展への貢献に、敬意を表します。 先代正昭社長が創業された昭和三十年当時は、五月末頃にやっと路線バスが運行を開始し、せいぜい九月いっぱいで終わってしまい、営業できるのは四ヶ月ぐらいという状況でしたが、今日では一年間を通して観光客が訪れるようになり、宿泊客が年間百万人を超えるまでになりました。こうした阿寒湖温泉の発展は、それぞれの事業所に於ける個としての努力と、観光協会などへの参加協力という地域への貢献によって成し遂げられたものです。『鶴雅』の個としての努力については申し上げるまでもなく、皆さんご存じのように、大変すばらしいものです。

 全体への貢献について、先代正昭社長に思い出があります。近年、道東の冬季観光では、層雲峡の氷瀑祭り、知床のオーロラファンタジー、オホーツクの流氷観光と並び、集客の一翼を担っている阿寒湖氷上フェスティバル『冬華美』が有ります。このイベントの始まりは、昭和三十六年頃より、冬期間も営業をするホテルが出てきましたがほとんど開店休業に近い状態が続き苦労しておりました。
こうした状況の中、観光協会で対策が話し合われ、札幌雪まつりの様な冬のイベントを始める事となりました。そして、昭和四十六年、第一回阿寒湖氷上祭りが開催され、雪像ではなく阿寒湖の氷を使っての氷像作りが始まりました。

 その陣頭指揮を取ったのが先代でした。二月の厳冬期に毎日のように湖岸の製作現場に出かけ、皆を励ましている姿が今でも思い出されます。すばらしい多くの氷像が製作され、成功を収めました。この中で培われた氷像製作の技術を買われ、紋別市の流氷祭りに氷像作りで招かれた人もおりました。この冬のイベントは一時の中断を経て、昭和五十四年から阿寒湖氷上フェスティバルとして形を変えながらも今日まで続けられ、冬季観光に於いて無くてはならない存在となっております。
 この他にも観光協会など外で先代が活動しておりましたが、これが出来たのも、現会長の奥様、茂子さんが大きな優しさで先代と、会社内を内側から支えてきたからではないと、これまでのお付き合いの中から感じています。

 さて、私が、観光協会長の時、先代と意見の違いから、大変険悪な状態になった事がありましたが、その間を取り持ち、根気よく私たち二人の間を往復し、意見調整をはかったのが、まだ阿寒湖に帰ってきて間もない現社長の雅之さんでした。その時の忍耐強い調整ぶりには大変感銘を受けたものです。
 その雅之社長も平成十五年小泉総理より「観光カリスマ」に選ばれ内外より大変高い評価を受けておられます。今後は、阿寒湖内に於いても、観光を牽引していくリーダーとして、益々の活躍と、貢献にご期待申し上げ、あかん遊久の里『鶴雅』創業五十周年に寄せてのお祝いの言葉といたします。