鶴雅を飾る書
「機を観るに敏」という言葉があるが、十一年程前、当時上尾幌在住の小学校同級生である造園士川内善五郎氏に紹介されて、大西雅之社長とお会いした。 「ホテルを高級化して、ロゴを『鶴雅』にしたい」という構想を聴いて冒頭の言葉を感じた。温泉ホテル事業に全く無関心であった私が、何故「機を観る」に惹かれたか?
当時(平成五年)書道界はブームと言われ、私もその役職で走り回っていたが、書の道の理想から外れかけている現状に疑問を感じ始め、「この侭バブルは続くのか?今が峠で下り始めるのか?」随分迷っていた。
そして、平成八年春、阿寒町国際ツルセンター前庭に建立された『皇太子殿下御歌碑』の栄誉ある揮毫を機に、同年九月、三十年続けた全ての書道展役職を辞任して、理想の書道教室『株式会社書峰社書道』の運営に専念することにした。
書峰社は創立五十三年、小企業ながらも全国書道塾唯一の法人組織である。それ故に「機を観る」意識は事業の興亡を意味する。『鶴雅』との出合いは正に一期一会であったと思っている。お陰で、今も谷底に喘ぐ書道界の中で、書峰社は純真な書の道を大事にしているが故に、高い所で安定している。
お部屋を飾る書
今も九割九分は「書道は黒墨」と思っている書道界で、私の書峰社では「お習字は黒の磨墨で、お部屋を飾る書は淡墨か彩墨で伝統色を」と指導している。
室内装飾としての書作品は、果たして黒で良いのか?
家庭のお部屋でも、温泉宿でも言わば「憩いの場所・癒しの場所」である。道内でも、濃墨を飛び散らした、元気一杯の書が麗々しく飾られている温泉街が大部分。読めない分からない教訓で、何か叱られている感じがして客は大抵そっぽを向く。
書作品と言うものは、それを鑑賞する人や所や雰囲気にフィットするものでなければ、価値はないと思う。書には上手下手や肩書きは無用、ただ美しさと品格の高さが求められるものだと思っている。
平成六年春、札幌三越と釧路市まなぼっとでの個展『道東の美を書く』約百二十点がそっくり高級ホテルに変身した『鶴雅』に飾られた。その赤味を帯びた茶系の淡い墨色に、皆さんが歓声を挙げて喜んでくれた。私は我が意を得た想いで嬉しかった。
翌年、この茶系の墨色に興味を持たれた函館湯の川の『花びしホテル』に十六点収蔵されたが、私の書が隆盛の一途をたどる両ホテルを飾っていることは、書家冥利に尽きると思って考えるだけで楽しい。
その後室内改装に従って、平成十四年“書峰社書道五十周年記念個展”の作品約八十点が追加収蔵された。
墨の色に固執するようだが、私は、飾る書は色彩に向い、二十一世紀の書の将来性と光明は彩りの書にあると確信している。
2000年になってから墨の環境が著しく変わってきた。
三重県鈴鹿市の小さな製墨店が八色の彩墨(染料系?)を開発した。同じ頃奈良の製墨老舗『呉竹』が、顔料をミクロ単位に微細化する世界的技術で特許を得て、いろ墨四色(赤・茶・緑・紫セット)の発売を始めた。鈴鹿市のは原料難で市場化できないでいるが一村一品である。呉竹は昨年創業百周年を迎えて業態を転換した。つまり書道界の低迷で、売れ行不振、固形墨製造は伝統技術者の在職中までとし、液体墨は契約分だけ製造することにして、主力を顔料微細化製品(筆ペン・サインペン・カラーコピー機など需要が多いらしい)に向けると言う。「彩りの書」の彩墨で今のところ使えるのはこの二点だが、世界は最早やモノクロではなく、カラーの全盛時代となるのは明白だと考える。
平成十六年、『鄙の座』の作品には、深い黒味を秘めた伝統色の鈴鹿の彩墨をフルに使い、『鶴雅』の更新作には、和紙にアクリルガッシュを使用して華やかな雰囲気を表現したいと心掛けたが、女将さんや支配人は喜んで下さるだろうか。
釈文無しでも、中学生でも読めること。話題性に富み、口づさみたくなるような語句、色合いも館の雰囲気にマッチした彩り豊かな美しい作品『秋霜の書の美術館』と思ってくれれば書家冥利に尽きると言うもの。