株式会社北海道ミオ設計 代表取締役 剱持 政男氏
株式会社北海道ミオ設計
代表取締役 剱持 政男氏1946年生まれ。
北見柏陽高校、工学院大学建築学科を卒業後(株)ミオ建築設計事務所に入社。
1973年北海道事務所を開設、所長就任。1991年同事務所を引き継ぎ、(株)北海道ミオ設計を設立。代表取締役として現在に至る。置戸町出身。
あかん遊久の里鶴雅・サロマ湖鶴雅リゾート・阿寒の森ホテル花ゆう香設計監理、その他。(株)阿寒グランドホテル各種施設設計監理。
●作品歴:知床グランドホテル北こぶし・知床プリンスホテル風なみ季・大江本家・ホテル黒部・北見グリーンホテル・北見第一ホテル・河合旅館・ホテル福原・ホテルパコグループ(旭川、帯広、釧路、函館他)鹿追小学校・公和会中村病院・瑞祥院・白毫寺・その他マンション等作品多数

魔法の杖をふるった人達二代に渡って受け継がれた「夢劇場」を視聴した私。

 顧みますと、貴ホテル大西様とはおよそ四半世紀、先代正昭社長・現雅之社長と二代に渡ってお付き合いさせていただいており、感慨深い思いがいたします。
 昭和五十五年頃と記憶しておりますが、当時の常務武田氏から、政府登録のための施設チェックを依頼され、初めて貴ホテルに足を運びました。残念ながら、当時の施設では改善の必要箇所・費用の問題等で実現に至りませんでしたが、たまたま二号館広間(現在売店)前通路で、自宅に戻る先代社長をお見掛けし、杖をついた着流しの後姿に、鮮烈なインパクトを感じたことを覚えております。

 それから二年程後、武田常務から「社長が増築を考えている」との連絡をいただき、先代社長とお話しすることができましたが、当時三十代半ば言わば若輩であった私の話を、本当に真剣に聞いて下さいました。夜も更けてホテルの方に「宿泊したい」という私に「自宅に泊まれ」とのお言葉。結局隣の和室に泊らせていただきましたが、緊張と不安で一睡もできずに朝を迎えました。朝、開口一番「設計を頼むよ」と言われ、疲れが一瞬で吹き飛ぶ思いでした。当時、社長は視力が低下しており、畳半帖程もあるような大きな紙にマジックで図面を描き、スタンドで照らしながら打ち合わせを重ねたこと。施工業者の見積りが予算通りなので「面白くない」と値引きさせる相談をしたこと。工事完了後、一言苦言を、という社長・お母さん(社長夫人)と三人で上京、某工務店常務と面会したが、お礼のみに終始してしまったこと─等々、懐しく思い出されます。

 あれから二十余年、当時支配人として先代社長を支えておられた現社長雅之氏が、「阿寒グランドホテル」を「鶴雅」として、大きく開花させ、更にご自身も観光カリスマとして、観光産業をリードする立場でご活躍中であります。

 先代・現社長と受け継がれた「夢」の実現の過程を、間近で多少なりとも共有できたことが、私自身の喜びであり誇りでもあります。
 今後、ますます「鶴雅」が輝きを増し発展されますよう、祈念申し上げております。