祝辞・昭和の時代を駆けぬけた刎頚の友に贈る
昭和30年に釧路駅前の旅館幾代を経営していた、先代創業者故大西正昭様が21世紀に夢を馳せ来るべき大観光時代を予想し、当時は草深き阿寒湖温泉に一大観光温泉ホテルを目指して進出し、現社長大西雅之様と二代にわたり努力をなされ、北海道をはじめ日本でも誇り得る、あかん遊久の里鶴雅をはじめ、花ゆう香、サロマ湖鶴雅リゾート、更に昨年は最高のグレードを持っての、和風旅館鄙の座をオープンなさり、いずれもご盛業の中で創業50周年を迎えられましたことを心よりお祝いを申し上げます。又私にしても、創業時以前よりトラック運転手として、ホテル建築の資材運搬等諸々でお付き合いを頂き、今日まで何かとご指導頂いてる一人として、今日の式典にあたり感無量の思いです。
私は鶴雅グループの発展は大きくわけて、昭和の発展期と平成の発展期とに分かれていると思います。今にして思えば先代は弱冠28才で昭和29年に当時盛業中の駅前旅館幾代を売却し正に背水の陣を持っての、阿寒進出で有りました。雪の吹き込む極寒の事務所にて建築資材の問題、作業員、そして建設資金のねん出等、血の滲む様な努力の中での白壁二階建て22室のホテル開業でした。当時は観光産業、温泉ホテル等は不要不急の産業として正規の融資もままならず、もっぱら民間金融に頼っての資金繰りだったそうです。交通状態も劣悪で11月から翌年5月まで冬季間は休業し正にデカンショ観光経営でした。
しかしこの時期にこそ今日の観光事業の発展を見越しての事業着手、正に先代社長の先見の明と経営戦略には敬意を表する次第です。しかし昭和30年代から50年代までの経営は大変な苦境の中でのご努力だったと思います。後年先代は体調を崩され入退院の繰り返しでしたが、常に企業の発展を目指し病床に有りても次の工事の構想を練って居りました。その先代を支え更に社内をはじめ周囲の皆様に対しての心暖まる気配りをなされて来た、茂子夫人(現会長)のご労苦も大いに社業発展に貢献なされていると思います。その様に経営が厳しき中に於いても、お子様の教育には大変な熱意をもたれ、現社長も小学校の時から札幌に留学されており、それに見事応えて最高の知識を持って社業に付かれて居ります。
今でも思い出しますが、幾たびかの増設工事を終えての昭和63年度に天河館完成時の落成祝賀会にて現社長が謝辞を述べている時に、先代が茂子夫人の手を握り高々と上げて列席の皆様に涙を流してお礼を申し上げている姿が今でも目に浮かびます。これが昭和元年に生まれ昭和の時代を力一杯生き抜いた先代の最後の工事でした。
この先代の男のロマンと企業精神を受け継がれた、現社長が平成5年に鶴雅別館建設の構想を図面を出されて相談された時に、私としては余りにも大浴場をはじめ数々のパブリックスペースに、資金を掛け過ぎではと心配を申し上げた処、これからは団体客全盛では無く、個人客又はグループ客が大勢を占める時代になり、その時点で大きな魅力として欠かせない施設になりますと、正に現在の観光情勢を予想しての工事でした。
その後多くの人に請われてホテル山浦を改装し、女性客の皆様のニーズに応えた花ゆう香のオープン、更にサロマ湖の東急リゾートを引き受けられ、地域に密着した大規模改修と増設を行い、サロマ湖鶴雅リゾートとしてオープンをされ、また昨年は阿寒湖温泉にて超高級和風旅館 鄙の座のオープン等、一段と高い評価を受ける施設を持っての営業です。また北海道観光の泣き所と言われていた接客サービスに付いても年々の向上を計り、JTBのお客様アンケートにて大規模旅館として全国一位で評価された事も役職員一丸となった皆様のご努力の賜と心からの敬意を表します。
更に平成15年には現社長の観光産業に賭け、地域発展を思う情熱が認められて、全国観光カリスマに選ばれた事は我々永年のお付き合い頂いて居る者としても大いに誇りに思って居ります。実は先日お客様の送迎用としてロールスロイスを購入なされた時に1番目の試乗者として会長と共に先代社長のご遺影を持ってサロマ湖鶴雅リゾートまで参りました。その間お付き合いを頂き先代社長がご逝去なされるまでの34年間、そして今日までの50年間の想いで話で終始致しました。
今北海道観光は国際化そして増えるで有ろうリピーターにいかに対応すべきか大きな変革の時を迎えて居ります。此の時期にこそ大西雅之社長の先見の明と鶴雅グループの経営に地域全体として大いに期待を持って居ります。どうぞくれぐれも健康に留意なされ活躍の程をお祈り申し上げます。結びに役職員の皆様のご健勝と企業益々の発展を祈念致しましてお祝いの言葉と致します。