JTB1998年サービス優秀旅館ホテル
JTB2001年サービス最優秀旅館ホテル並び立つ2匹のライオン
立派な鶴雅タワーを建てるのが先代正昭社長の夢でした。
タワーを建てる、当時は「タワー」が合言葉になっていました。そのタワーが実現したあと、次の私達の目標は、「ライオンを手にすること…そしてそのライオンを社長に高々と掲げて貰いたい…」
私達はこの事を心のバネにして頑張ってまいりました。
ライオンとはJTBが全国の旅館ホテルの中から特に優秀な旅館ホテルに贈られる象徴のブロンズ像のことなんです。チャレンジ80、チャレンジ90と毎年毎年繰り返す評点へのチャレンジでした。
これは不可能な挑戦だ!と思った社員もいたかも知れません。しかし、目標は高きほどいい!と語った社長に背中を押されながらあきらめず挑戦し続けた私達でもありました。こうして、社員一丸となってのサービス向上、ソフト面の充実への歯を食いしばっての頑張りが続きました。
故みさを女将の願い、私達の目標、そして珠江女将の夢、その夢はそのままおかあさん(茂子会長)の夢でもあります。誰もがその思いを胸に頑張り続けた道のり…、そんなある年、ついにその栄冠の日がやってきました。1998年度サービス優秀旅館ホテル、そして2001年度サービス最優秀旅館ホテル、ついに日本一の金字塔を打ち立てることが出来たのです。その喜びは社員全員が顔を揃える全体会議で報告されました。
「やった〜!ついに念願のライオンが…。」これは道内初めての快挙、そこには従業員の歓喜の涙もありました。このブロンズ像は、従業員みんなの永い永いチャレンジへのご褒美でもあるのです。
今その2頭のライオンは、まるで雌雄の獅子のごとく社長室に飾られています。
それは社員一丸でつかんだ誇りの証。
受賞後、全社員の前で「ありがとう。ごくろうさまでした。」と一言一言語る大西社長のご挨拶に、何故か涙が溢れ出てきて止まらなかった社員も数多いとお聞きしました。
日本一になった鶴雅には、夢かなえる明日をめざす社員達ひとりひとりの思いがあります。
ここに「私はここで働かせて頂いているだけで幸せです。」と語る人がいる。
また、聞き取り取材中にも関わらず、到着したバスに駆けだす人がいます。
大西茂子会長と共にホテルの草創期から苦労を重ねてきたその人は、お客様を迎えた瞬間、その表情にポッと華が咲いたように爽やかな笑みがこぼれます。そしてその軽やかな動きに若手スタッフが引っ張られていくのでしょう。仕草や笑顔で接客の「いろは」が伝えられていくのでしょう。
鶴雅のロビーに飾られている見事な生け花。
社員達が「どうしたらきれいにお客様を迎えられるお花を活けられるのだろうか?」「どのようにすれば長く生きさせることができるだろう?」を考える手探りと手づくりの社員の愛情が注がれています。
お客様が到着した際にさっと手渡される爽やかな香りのおしぼり。
そのぬくもりが鶴雅のサービスのはじまりこれも社員の発想だそうです。
かつての阿寒グランドホテルで働いた大先輩が、次のような文章を社内報に寄せてくれましたので、ここにご紹介いたします。
「霜が里に降りる頃になると、秋の大根干しが始まり冬支度だ。女中さん方は夏使用した浴衣、布団、その他の修繕等で忙しい毎日。男性の方々は雪囲いと客室の煙突の取り付け等で忙しい一日だ。
その頃になると山の峰は色づき始め、約一年分の漬物を漬け込む忙しい冬支度になる。
先代のおばあちゃん、会長のおばあちゃん、二人が先頭に立って冬季間のお客様に出す様々な変わった漬物、酢漬け、魚漬け、鮭の挟み漬けなど・・・おばあちゃん方の自慢の漬物造りの日々…。」
あの頃と今では姿かたちは変わっても、今も昔も手づくりの真心を提供し、その伝統はしっかりと守られている。
そして今、忙しく仕事に励む従業員が行き交う事務所には2匹のライオン。ライオンが見上げる壁には昔と変わらぬ『和』のひと文字。これは、先代故大西正昭社長の願いであり私たちに訴え続けた精神でもあるのです。